景観を美しく

 イギリスに一年半住んでみて感じたことの一つは景観の美しさです。日本と比べてなぜ街の美しさが違うのでしょう。理由はいくつかあります。国土の3分の2が牧草地である国と3分の2が山林である国では敷地の余裕に差があるのは当然です。緑が良く育つ環境はガーデニングの文化を育てました。住宅地については看板の法規制があり、環境保護団体がきびしい目を光らせているからでしょうか、街にはわずらわしいものがほとんどありません。都市計画の歴史が古く、多くの街で電線が地下に埋設されています。役所のデザインに関する規制も厳しく、色や形についての細かい指導があります。申請に時間もかかりますが、それに対して市民は理解を示し環境美化のためにルールを守ろうとしています。その結果美しい環境が守られているのでしょう。
 公共性のある建物のインテリアについても同じような傾向が見られます。日本では建物が完成すると竣工祝いとして贈答の絵や置物が届きます。また市民からの寄付と称して大きな絵がたくさん持ち込まれ、頂いたものの礼儀としてはところ狭しと壁にかけることになります。せっかくの絵も脈絡の無い展示では作品が生きません。更に残念なことにはせっかく掲示板を準備しても張り紙をあちこち無造作に張られてしまうことで、がっかりすることがあります。欧米ではオーナーといえども勝手に絵や彫刻を置くことはできません。アートコンサルタントの目を通さなければならないからです。建物の景観を大切にするのと同じ意識が働いているのでしょう。
 日本の建築家は施主に逆らえないところがあり、それに甘んじてしまったところもあります。たとえ自分の所有物であろうと、公共の目に触れるものに配慮する意識が欠けていたように思います。ところが、このたび日本に帰って驚いたのは、わが国初の景観に関する総合的な法律である「景観法」が成立していたことです。海外旅行も盛んになり、外国の美しい都市づくりに触れる機会が多くなった今、日本人の意識も変わって来ているのでしょう。古い都市には秩序があったとよく言われます。それは長い歴史のあいだに造られていくものかも知れません。江戸時代わが国にも街に秩序がありました。近代化のスピードの前に撲殺されてしまっていた大切なことを、今こそ腰をすえて再建する時なのでしょう。すぐに改善されるとは思いません。難問は山積していますが、とりあえず一歩前進です。微力ながら私も景観の美化に貢献したいと思っています。
                                     2005.08